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102(マルニ)誕生のわけ

もともと三浦、高田、高松は大学在学中からの知り合いで
それぞれ各々の理由で違う時期に東京へ出てきたのでした。

新しい土地で知り合いもいない中で
自然に高円寺あたりで会ったり飲んだり。
そんな時、高円寺の古着屋で働いている照屋と知り合う。
それでまあ色々な理由で高円寺の照屋の勤めるお店の裏に
たむろっていたりしていたわけです。
仕事の話とかプライベートなこととか、面白いことや悩みとか
そんなんを、特に解決したいわけでもなく
ただ話をしたいがために会っては話したりなどしていた。

そして、
2006年初頭
高田と照屋が参加しているバンドのライヴ後に
過度のライブスケジュールに疲れきった様子の照屋に対し、
ライブを見に行っていた三浦が
「ライブがしたくてもできない人はごまんといる。
  ライブができるやつは幸せだ。」

的な事を言っていた
という話を高田から聞いた高松が
「じゃあ、将(三浦)がボーカルで高田ギター
  俺(高松)かさち(照屋)がベースかドラムでバンドやるか」

という非常に軽い発言から結成することに。

とにかく高松という人は無責任なほどに時々発言する人で
まったくのプランもなしにバンド結成を発表したのでした。
当然ながらバンド名などなくスタートしたのでした。
 ※言い出したらといって高松がバンドのリーダーではありません。
   一応リーダーは高田。

さて何をしましょう。
ということでハイロウズやはっぴいえんど、アナログフィッシュなどカバーしてみた。
(今ではその時にカバーしたBGMという曲がマルニの定番になりつつある。)
その後、調子に乗ってオリジナル曲も作り始める。

しばらくそんな感じで、特に大きな進展も無かった。

ところが同年の師走末に、照屋からこんな発言が

「ライブの話があるんだけど」

この一言でやっとエンジンがかかった
やっと動き出したといってもいいかも

それから、じゃあバンド名はどうしようか?
という話になったわけです。
順番があべこべな感じですが
ふつうはバンド名も結成時に決めたりするんじゃないかなぁ
とも思いますが僕らはそれから慌ててバンド名を考えたのでした。

場所は高円寺の居酒屋大将で
いろいろ案は出た。
だけどどれも決め手に欠く
というようりかは
特に何でもよかったんだけど
どこで締めようかというかんじで
時間だけは過ぎ、終電の時間も近づいてきたころ
高田が

「沖縄に、まるにタクシーってあったよね」

と提案したのか、ただの回想なのかは分らない発言から
それでいいんじゃない。いや、一人だけ
「パーマ屋の回るあれ」
というバンド名を主張していた三浦をよそに、
時間もないし。終電だし。
みたいな感じで決まっちゃいました。
マルニに。

という訳で102(マルニ)と命名されたのです。

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